2011/03/18

桜月流/O-Getsu Ryu の皆へ


信じられないと思うけれど、これは桜です。
富士街道沿い、石神井警察の前の1本の桜の木。
ものすごく早咲きで、毎年咲くの。

一昨年、相澤が「桜が咲いています」と言い、
「バカだなぁ。梅だろ?桜なんか咲くわけないじゃん!」
と言って見に行ったら…正真正銘の桜であった…。

エドヒガン系なのか、オオシマザク系なのか。
ちゃんと小さなサクランボの実を
つけるのでソメイヨシノではない。とにかく桜なのです。

その石神井の魁け桜が、今日、満開に!!
なんとなぐさめられれたことか…。

避難所生活の皆様にも、
どうか、どうか桜の春が来るようにと…。
祈らずにはいられぬ気持ちになった。





私は、戦争も経験していないし、被災も経験していない。
だから、きっと何にもわかってないんじゃないかって…
今日の夕方、ギューギューになっている下り電車を見ながら、そう思った。


人間には、死への恐怖があります。
どんな小さな動物でも倒れて横たわっていたら、とても怖い。
生前を知っている人が、棺の中に横たわっているのは、もっと哀しく辛く…そして、怖い。
知らない人が事故かなにかで、倒れ果てているのを見てしまったら…きっとものすごく怖い。

ましてや、自分の目の前で、とても沢山の知り合いか知り合いじゃないかもわからぬ人たちが
倒れうもれ亡くなっていたとしたら……。どんなにショックか、私には真の想像ができていないと思う。

そちら側にいったか、こちら側にいたかは、ほんの紙一重のできごとだったでしょう。
しかも、現場によっては、こちら側に居続ける事がもう出来ないかもしれないという恐怖を持ちながら、
救助を待ったり、働いたり、現実を見たりしている。
そんなギリギリの現場を、やっぱり私は何の理解も把握もしていないんだと…当たり前ながら気がついた。

私には、いったい何ができるんだろう。
今苦しんでいる全ての人々に、美しい日本の桜の季節を届けたい。
美しい日本の風景を、安堵した心地の中で、見せてあげたい。

私は、歌い舞うのが生きることだから、
例えば桜になって、例えば風になって、
歌い、剱舞うことしか、できないんだと思った。

桜の精のように、月の精霊のように、小鳥の化身のように、風の使者のように。
私も、歌って舞おうと、思う。
桜月流の皆も全員、今こそ、ツルギに精進して来るべき日に備えなさい。
「衣川幻想」は、延期して公演します。
その頃、日本の復興と希望の音連れになる。そう剱舞して、生きよう。

皆、自分のできることをやろう。
暖房消して、誰かのための情報を収集して、物資が被災地に行くように助力して、募金して、
そして、自分のできる仕事の技を地球の面に出して出して出し尽くそう。
自分がクリエイトすべき創造をしよう。

そうしないと、誰のためにも自分のためにもならない。
天皇陛下もおっしゃっておられたように、被災した皆さんと共に、強く寄り添って助け合って生きよう。
自分が生きるということが、何なのか、ちゃんと考えて生きよう。


桜の生命力も、
そう教えてくれているのだと思う。

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