2011/01/05

義経と牛王法印









神谷です!
一昨日、ご報告した鶴岡八幡宮の「御判行事」で頂いた神符について、
今日はお話しします。
この護符、義経にもゆかりがあるのです。


















実は、この護符にしるされているのは鳥文字です
熊野の「熊野山法印」は特に有名で、八咫烏で書かれています。
そして、この護符は、
一般的にはその人の身を守る護符としての利用しますが、
起請文(誓約書)として用いる方もありました。
護符として使うときは、例えば、竃に祀り火難除けしたり、
病人の枕に敷き病気平癒を祈願したりします。

しかし、「誓約書」として使うときは…。
この牛王符の裏面に誓約ごとを書き誓うのです。
こうすると誓約の内容を神様に対して誓ったことになり、
誓約を破ると天の使いの鳥が一羽(一説に三羽)死に、
約束を破った本人も血を吐いて死に、地獄に落ちると信じられていたのです。

だから、本当に本気で誓願を誓って、
この護符=牛王宝印の裏に、誓願を書き記したのです。

さて、有名な歴史書「吾妻鏡」にもこの「牛王宝印」の誓約の記述が載っているのです!

その「吾妻鏡」の一節にあるのが
源義経の「腰越状」の記述です。

兄に謀反の気持ちはみじんもないと、
義経は鎌倉の手前である腰越で血の涙を滲ませて書き上げました。
足止めをされ、鎌倉に入れないまま…
弁慶らと共に腰越の地から兄に託した書き上げた「腰越状」。

かの「腰越状」を、義経は、牛王宝印に誓いを立てて書いた…と、
そう「吾妻鏡」に書かれているのです。
その記述を、このたび読んで、私は本当に涙が出る思いでした。

義経は、人質としてほんの子供の頃から鞍馬寺で育ちました。
自分が源氏の頭領の御曹司であるということも聞かされないまま育ちました。
きっと、神仏混合であった鞍馬のお山の信仰心が、強く心の中にあったでしょう。
神様に誓約を立て、命にかけて真実であると…その思いで…。
義経はこの「牛王宝印」にかけて誓願したのです。
この護符は、このたび、
私が頂戴した「牛王の宝印」です。
鶴岡八幡宮の神の使いは、鳩です。
ですから、鳩の鳥文字で描かれています。
現代にもこうして護符は残っていて、その秘術は伝わってゆく。
その文字の形状に、また、その作法に、あるいは、意(心)が加わって…
なにがしか作動する。いにしえからの方法なのだと思います。
赤穂浪士も討ち入りを前に
熊野牛王符に誓約したと、されています。

これらの歴史を深く胸にとどめ
この護符をありがたく頂戴したいと改めて思いました。

                   神谷美保子

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